2014-06-27

街ひとつ 18, 19, 20, 21, 22

街ひとつ 18, 19, 20, 21, 22
教善寺にて (教善寺と境内にあるお稲荷さん)5枚
現在で言う芋洗坂と饂飩坂の間にあるのだが、ひとつ前に投稿した古地図(尾張屋板江戸切絵図)を見ると「芋洗坂」の文字の左側にある。
港区の案内によれば、芋洗坂は、
「六本木交差点への道が明治以後にできて、こちらをいう人が多くなった」
とのことなので、「芋洗坂」の文字より上が現在の「饂飩坂」なのかも。
そう考えると、ひとつ前のポストで饂飩坂と思われると推定した道は、形状的には現在のロアビル横に突き当たる道、となんとなく納得(前の投稿参照)。
とすると、現在のアマンドから公衆トイレまでの部分は、明治以降に古地図にある正信寺(現存しない)と教善寺の間にできた道ということになるのだけど、そうなると正信寺と光專寺の間を抜けて現在の外苑東通りにぶつかる道(現在の六本木通り)もこの時代以降にできたことになる(光專寺・深光寺の位置が今とあまり変わらないことが前提だけど)。

六本木通りが今のように整備されたのは1964年の東京オリンピックのためで、芋洗坂から六本木トンネルへの道も元は家々の間を通る細い道だったのが同様に用地買収・整備され、六本木ヒルズができる以前は、地元では(少なくともウチでは)「オリンピック道路」と呼んでいた。
ちなみに「けやき坂」は六本木ヒルズのために作られた道で、たぶん、旧アルゼンチン大使館があったあたり。「さくら坂」も城南高校(現・六本木高校)の擁壁の下を通る所までは同じだが、その先はちょいと違うのです、そもそも名前は無かった(笑)。

古地図(尾張屋板江戸切絵図)の「芋洗坂」の「洗」の字の所から左折しているのが現在の麻布警察署裏の道で、こちらが元々の芋洗坂であるとする古地図・説や、いやこっちが饂飩坂だったという古地図・説もあるそうでほんとのところは今も不明のまま。
港区の説明によれば、「天明年間末(1788)頃まで(中略)うどん屋があった」のが坂名の由来だそうで、この古地図の時代(1851年)にはうどん屋はもう存在していない。

芋洗坂の坂名の由来は諸説あるけど、ウチの伝承はひとつ前の投稿本文を参照のこと。

2014-06-17 #realjapan #StreetPhotography
#Roppongi #Tokyo #Japan  #JapanBWPhotography

六本木56

2014-06-17 教善寺と境内にあるお稲荷さん 2014-06-17 お稲荷さん (教善寺内) 1 2014-06-17 お稲荷さん (教善寺内) 2 2014-06-17 こっちにもお狐様 (教善寺内) 3 2014-06-17 お稲荷さん (教善寺内) 4 (5 images)

街ひとつ 18, 19, 20, 21, 22 https://lh5.googleusercontent.com/--6vVlxYKvcE/U6zgoosu-oI/AAAAAAAAEcs/AObdSEjAcpQ/w379-h379-p/20140617-DSC08850_w.jpg
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